落語を聞きに行こう!〜三遊亭圓橘(円橘:えんきつ)師匠〜

最近とても嬉しいことがありました。とても長い話なんですが・・。ですので、2回に分けて書きます。
先日。シリコンバレーでは、「第7回シリコンバレー寄席」というのが行われました。私は第1回から参加できる時は参加していたのですが、今回は渡の都合で不参加になりました。
私の落語との感動の出会いは、第1回シリコンバレー寄席。
この時に高座を観に行くと決めていたのに、出かける用意をしている時に渡が家から脱走し、ご近所のお宅のバラの花びらを叩いたり、ゆすったりして散らしてしまい、ご近所の方に怒鳴り込まれました。どうも散って落ちる花びらが、自分の視覚刺激にはまってしまい楽しかったようです。

もう必死であやまり、すぐにお詫びに再度伺うと、そこには、バラの花びらが散乱しています。私の電話番号をわたし、
「今度きたらすぐに電話をください。飛んできますので。」と伝えました。涙ぐんだまま晴れない顔での参加になってしまうのか?と思っておりました。


「いつまで謝るんだろう・・。渡が死ぬまで謝り続けるのだろうか?悪いことをしたのは、渡なので、謝るのは当たり前だ。けど、あのバラの花は私がいくらあやまっても同じ花びらが、再度木に戻り、花を咲かせることはないんだ。どれだけ家の人が苦労して綺麗な花を咲かせたのだろう。どれだけ毎日お水をあげ、肥料をあげて育てたのだろう。綺麗に咲いたいま毎日楽しんでらっしゃったんだろうな。」と思うとなんだか、楽しい落語に行くのに目に涙が滲んだ日でした。


落ち込み、また目を離すと脱走するかもしれないので、準備もまともにできません。行くのをやめようかな・・と思ったのですが、それは、友達とも約束していたし、だめだな。と思いました。すると、渡のレシパイトケアのシッターさんが来てくださったので、渡を見てもらって、準備をし、遅刻して外出することに。


お話くださったのは、三遊亭圓橘(えんきつ)師匠。
「目黒の秋刀魚」ではもうお腹を抱えて笑い、人情話の「文七元結」では、涙してしまいました。落語を聞いていると、だんだんと元気になりました。

これが漫才だったら駄目だったと思います。速度が早すぎて、情がこもりにくい分、たぶん、真剣に落ち込んだ自分の気持ちは、その速度に合わせて開くことができず、ついていけなかった思います。
あの落語の速度と、師匠の情の厚さや思いが、すとーんと自分の中に落ちてきました。たぶん、師匠の人情話は、数えくれないくらいの練習も、高座でのお話もされていると思います。極めるということは、思いを継承するということも含まれます。江戸時代から脈脈と受け継がれている日本人の人情さえもが、熱の入った人情話に込められていて、その長い歴史の日本人の人情が、私の悲しい心を暖めてくれたのでしょう。最後には爆笑してしまった私は、
「あっ、アメリカでもやっていけるかもしれない。」
と元気になった日でした。


けど、よく考えると落語というのも、すごいお仕事です。この日の私のように、どんなに落ち込んでも、お客様を笑わせて、元気で楽しい気持ちで帰っていただかないといけない。
自分が落ち込んだときも、人様を笑わせる。私には、できません。すごいな。落語って。思いました。
そんな元気を頂いた師匠の落語を今年は、忙しくて伺えなかったので、近況を兼ねて、お手紙を書くことにしました。ちらっとご挨拶だけはしたことがあるので、覚えてくださっているかもしれないと思ったのですが、たぶん、お忘れだろうなと。内容は下記のようなものです。

お元気でらっしゃいますでしょうか?もう師匠はお忘れだと思いますが、自閉症の子供を抱えた久保由美です。
本日、お伺いしたいと思っていたのですが、どうしても子供の用事の都合がつかず、お伺いできませでした。ですので、失礼を承知で御手紙を書かせていただきます。

師匠が今年の3月に腸のポリープ及び直腸癌の切除手術を受けられたというニュースを伺いました。術後の経過が順調で、今はとてもお元気でらっしゃるようで、喜んでおります。師匠がおっしゃてらっしゃる”一病息災”をモットーに、どうぞ、御大事になさって、より長くお元気でいらしていただきたいと思います。
実は、私のほうも、春に自室で大量出血をし、5月に子宮摘出手術をうけました。出血時は、自閉症の16歳の息子しか家におらず、息子は床に広がる血をみて、パニックになりそうな自分を押さえて、バスタオルを大量にもってきて、床を拭き、一人で汚れた大量のバスタオルの洗濯をしておりました。病気の私に水を持参してくれたりして、その場を乗り切り、お医者様のお世話になることができました。

まさか障害のある息子に、自分が助けられるとは思っていなかったので、どんな人間でも成長するのだな・・。と思いました。
思えば、この子が小さい時、アメリカという言葉も通じない異国の地で、いつも暴れて、パニックになり、24時間時間を問わず家を脱走して徘徊してしまう息子の育児に不安を感じていた時期に、師匠の落語を聞かせていただきました。あの折に心の底から笑うことができ、「あっ、私、アメリカでこの子を育てていけるな。大丈夫だ。」と確信を得たものでした。

 落語という世界の難しいことは私にはわかりませんが、人様を笑わせて、希望を持たせて幸せにするというお仕事は、とても大変だと思います。ご自分が大変な時も人様に笑ってもらうというのは、どれだけの苦労がおありでしょうか。落語は歴史あるものですし、それを継承しながら、新しいものを作り出し、さらに人様を幸せにする職業というこれほど難しいお仕事は、他にないのでは?と思います。師匠の落語で救われ、今は元気にしている私は師匠にいくら感謝してもしきれません。ありがとうございます。

私が体験した息子の育児は、なにか人様の役に立つだろうか?師匠から頂いた「生きる元気。人生を楽しむ元気。」を人様にほんの少しでもお分けすることができないだろうか?とずっと考えておりました。それで、Voice4uというiphone, iPadで動作する会話を助けるアプリケーションの開発をおもいつき、リリースを致しました。ありがたいことに21ヶ国で使われ、韓国では、学校でも使っていただいております。
あの時に師匠の落語を聞いていなければ、いまだに闇の中にいたかもしれない私です。

私が日本に帰国いたしました折は、ぜひ、師匠の落語を聞かせていただくために寄席に伺わせていただきます。
本当にありがとうとうございました。
どうぞ、アメリカを楽しまれて、お気をつけて、ご帰国くださいませ。
久保由美 拝上

今回参加する友達に、この手紙を託した私。
師匠からは、帰国後すぐにEmailを頂きました。
「封書でお返事を書きましたので、御受け取りください」とのことです。
「えっー!どうしよう・・。それはだめだ、返ってお手を煩わせてしまった・・。」

返事を書かねば・・・と思っていたのですが渡の学校の準備と重なり、すぐにお返事出来ずにおりました。師匠はすぐに投函して下さったので、なんと我が家に師匠からの筆で7枚も書かれたお手紙が到着。
渡が倒れた私を助けてくれて、私が「どんな人間でも成長するんだな」というところで耐えきれずに涙してくださったそうです。

7枚綴りの手紙には、師匠の心から人を思いやってくださるお心や、ご自分の思いを綴っていただき、師匠からは、「こちらが励まされました。今後は、久保さんの手紙を常に胸に秘め、これからの噺家人生を歩んでいきます」 途中からは、涙で字がにじみました。
すぐにお返事を・・と思ったのですが、渡が学校初日で、相変わらずの美女探しをし始めて、落ち着かない日々でした。あわてて、師匠に
「お返事が遅れて申し訳ありません。実は渡の新しい学校が初日で、渡は美女探しにあけくれ、学校でもおちつかなかったようです。オードリー・ヘップバーンの写真集を寝る前に眺める身の程知らずの彼のお好みの女性はもちろんおらず、長く徘徊したようで、やっと落ち着いたので、今日メールを致しました。」
というEメールを送りました。
すると数日後に、すごいことが起こったのです!!!
長くなったので、続きは明日あげます。