香穂は、8月末(8月29日が日本の9月1日にあたいしました)から、高校に通っています。うちの近くの高校は、だいたい4年制なので、香穂は、日本人学校では、中学2年生ですが、アメリカでは高校1年です。
初日の日は、自分が取る教科の先生と話をして、1年間どういう方針で、授業が進むのか?とか、成績がどういうふうに決まるのか?の説明があります。
香穂は、小学校の時から、バンドのクラスを取っていて、担当はトロンボーンです。ですので、高校でも音楽(バンド)を取ったのですが、音楽の先生は最初の授業で、
「僕、ADDだから」
とカミングアウトしたそうです。けど、クラスの生徒は別にえっ!とも、へっ〜!とも驚く感じもなく、数人の生徒は、
「あっ、そうなんだ」という程度で、
変わったリアクションはなかったそうです。
なんか、その「あっ、そうなんだ」も、合いの手っていうか、普通の会話だったそうです。
授業は回を重ねるにつれ、いろいろ進みますが、ひとつ問題があったことは、クラスのF君が楽譜がなくなったそうで、先生に聞きにいったら、先生は、山と詰まれた紙の前にぼっ〜と立ち尽くしていたそうで、生徒たちは、なれたもので、その中から、F君の楽譜をさがしだし、誰も先生を責めたしません。あとこのクラスには助手(エイド)というシステムがあって、生徒が、先生のhelpをするそうです。これは、日本でいう係りで、立候補制だそうです。他の授業でもこういう制度があるそうで、先生は、自分がADDだとわかっているので、自分が苦手な整理整頓にあたする紙集めや、集計のようなことは、生徒に
「僕これできないから」といって、仕事を与えるそうです。
すごく自然。香穂も別に特別なこどでもなんでもないので、学校にかよって、2週間目に私にふとした瞬間に話しました。たぶん、会話の中で、ADDの話がでたから、話した程度のこと。彼女にとっては、ADDの人がADDじゃない人と同じく、社会で働きたいと思って、働くのは、当然で、人が苦手なところは、同じく授業をうけてゆく生徒が協力するのは、あたりまえのことなので、日本では、それがあまりないことだというのが、わからなかったようです。
肝心の授業ですが、それは、それは、面白いらしく、リズムのとり方の教え方などは、いままでやったことのない、おもしろい教え方をしてくれて、プロ級で、先生がお手本をみせてくれるそうです。
最初は、みんなが、
「えっ!そんなのできないよ」というと、
「ほらできるだろ?できるだろ?」と生徒をうまく励ましながら、自然に体が動くように、教えてゆくそうです。で、気がついたら、みんなができているそうで、
「すごいんだよ、音楽の先生。」といってました、音楽の先生は、好きな先生のランク上位に食い込むそうです。これが本来人間社会のあるべき姿だと思う私でした・・・。