社会で、自分の役割があるということ

先日のブログの続きです。

人生という名の手紙

人生という名の手紙

という本を読んだ私です。
これで深く考えさせられたのは、”役割があるということ”です。
彼は、精神科医ですが、30代の時にトラックに積んだタイヤが落ちて来て、自分が運転している車に当たります。
その事故で彼は、障害者になってしまいます。
集中治療室で、身動きできない彼の枕元に看護婦がやってきて、
「あなたは、精神科医と聞いたのだけど」
と言われて、身の上相談を受けます。彼は、死の淵を行き来しながら、全く動けない、頭もうごかせない体で、その相談に答えて自分の役割を感じ、生きる道を見いだしてゆくのです。


こんなに大きなことは、人生ではあまりありませんが、最近ティーンになった渡を見ながら、やはり社会で役割がないというのは、生きづらいだろうなぁ・・と思います。実は、みんなに役割があるのだけど、そのことに本人が気がつかなかったり、周りが気がつかない事が多い気がします。



それは、本当に小さなことから始まると思います。先日感じた渡の役割をひとつ。
渡は、冬休みですが、ディケアにいきました。行く理由は、
「音楽のコンサートの練習」
です。実は、前回のコンサートで、トップバッターで演奏した渡は、カーテンが開いたとたんに、たくさんの観客がいて、心底びっくりしたのです。今の彼は、「当分コンサートは、こりごりだ。」という感じなのです。
けど、1月にシンシア先生が企画したコンサートには、出したい私。でれば、渡がとても楽しいのを知っているからです。渡は、コンサートで舞台に立つのが嫌なので、もちろん練習も嫌です。
「どうやって説得しようかな・・。ティーンになった渡に、嘘をついてもすぐにバレるし、説得しようとしても思春期の男の子が親の言うことなんて、聞いてくれないし・・・。」
と悩んでいて、解決策もないまま、渡を朝起こしました。



けど、渡は起きたとたん、
「僕は、今日は、2つお手伝いをする」
と言って、すごい勢いで服を着替えて、ご飯もロクにたべずに、霜がはりつめた寒い外で、何十分もディケアに行くお迎えの車がくるのをずっと待ちました。


どういうことか?というと、コンサートの音楽を教えてくれているのは、トニママです。

私は、渡が、ティーンになってから、学校やディケアで、お手伝いをすることをまわりに言っていますので、前回の練習の時に、トニママは、音楽の楽器のケース荷物を持たせて、運ぶということをさせてくれたそうです。この時にトニママが、しっかりとお礼を伝えてくださったので、渡は役に立っているという認識をしたようです。
渡は、トニママのことをHさんと言っていて、帰宅したときに
「Hさん、Happy」
とトニママの笑顔のまねをしてくれます。このことが、相当嬉しかったらしく、次の音楽の練習の時に
「今日は、自分は、2つのお手伝いをする。」
と決めていたみたいです。


なぜこのようなことを考えたか?というと、先日、ある方とお話ししていて、自分がティーンの時、
「家庭内で居場所がないなー」
と思っていたことを語ってくださいました。その方は、お母様が、とてもよくできた方で、子供の面倒を骨身を削ってしてくれたそうです。長男坊の彼は、ありがたいのだけど、自分がここにいるとお母さんは、大変なんだな・・と思うようになって、いづらかったと教えてくださいました。結局、彼は、人を助ける仕事についたのですが、家をでて、人に奉仕する仕事につき、やっと自分のすべきことがみつかり役割があったという感じで、すごく人生が充実しているそうです。



「大事にされるのは、いいことだけど、渡のことを考えてみると、役割がないのは、悲しいよ。自分がもし渡の立場で、みんなが自分にいろいろなことをしてくれて、けど、自分は、なにもすることはない。座ってくれればいいのよ。。ってなると、それはそれで辛いんだろうなと思う。」と。


どんな小さなことでもいいので、お仕事一つづつ・・。っていうのを小さいときから渡に教えてくださった先生方に感謝の気持ちで一杯です。渡は、ボランティアのお仕事もするので、それも今は、楽しそうです。

この「人生という名の手紙」には、そういう社会での役割というもののことがしっかりと書いてあります。ぜひ読んでみてください。



小さい子供でも、お仕事ひとつづつ・・・は、できますよね。たとえば、
まずは、ためしに、玄関にシールをはって、靴を並べることから、教えてみては、いかがでしょうか?お父さんの靴をシールの上に並べる。お父さんは、そのお礼をきちんと子供に伝える。靴を並べるということをおぼえるのに、1ヶ月かかるお子さんもいれば、1年かかる子供もいるでしょう。けど、
「お礼を言われる。誉められる。」
というのは、どの子供も好きだと思います。
お父さんが、早い時間に帰ってこない場合は、お母さんの靴でも、兄弟の靴でも、お客さんの靴でもいい訳ですよね。まずは、小さいことから、時間をかけてゆっくりと・・。ですね。