実家での衝撃

大阪の実家に帰った時の話です。まず、我が家にはすだちの木々があり、毎日ようにすだちは食べます。すだちが成らない時期用に、すだちの汁は冷凍にして、年中食べれるようにしております。
アメリカにきて、すだちが食べれなくなったので、今回、5年近く振りに日本に帰って、一番おいしいとおもったもの。「実家の裏庭になったすだち」です。
私は小さい頃から、すだちの木々がある家で育っているので、なんでもすだちをかけます。たぶん、一日のすだちの消費量は、最低でも5個くらい。おやつは、おじゃこにすだちをかけてたべていたほど。なので、いまだに骨も強く、元気なんだと思う。なので、私の「すだちのない生活」というのは、たぶん、普通の人の「醤油が手に入らない生活」に近いと思う。
実家に帰ると一番に見せられたものは、バケツ一杯のすだち。このバケツに一杯でした。

この中にはいっていたものを箱にいれて冷蔵しやすくしたものは、これ。

大量のすだちでございます。
父は、私がすだちがたべれなくて、非常に苦しい生活をしていることを知っているので、必死で木から取ってくれていました。滞在中に、そんなに食べれる訳はないのだけど、父にしたら、すだちが食べれない私の生活は、「娘はご飯をたべれないようなひもじい生活をしている。」のに、等しいのだと思う。けど、アメリカにきて、一番なれなかったのは、英語や、習慣とかじゃなくて、すだちかも。いやー死ぬほど食べてきました。おいしかった。けどすだちがないアメリカの家は悲しすぎるわ….。やっぱり醤油がない家にかえってきた気分です。

そんな実家でのことは、他にもいろいろありました。朝早めにおきて、Run4uのTシャツを着て走って驚く。
走り始めると突き当たりの道の壁に政治家になった同級生のポスターが張ってある。
家からでてすぐにポスター上の同級生に会うのもなんだかなー、笑ってしまった。高校の時とかわってないし、相変わらず、がんばってるんだなーと思うと自然に笑みが...。

自分の出身小学校も見てきました。

校舎は私が通っていた頃と変わってない。老朽化してないか??とも思うのけど。
高校も校舎は色がかわったものの、そのまんま。

プレハブの部活の部屋のそのまんまでした。
ただ高校の周りは、野原だったのに、もうすごい住宅街。高校の時は、周りの野原にいるカラスが高校からでる生ゴミをねらって、かーかーとうるさく、先生の声が聞こえなかった時もありました。
弱気な若い女性の国語の先生は、生徒からおじょくられる事が多く、
「先生!からすより大きな声で話してくれな、授業聞こえへん!」といわれておりました。

さらに走り進むと私が東京に住んだ時に、衝撃だったクリーニング屋の看板。東京に出た時に
「カッターのクリーニングはどこが上手いんだろうか?」
と東京の人に聞いたら、通じなかった。初めて
カッターシャツ
という言葉が大阪弁だと知りました。
その大阪弁バリバリのクリーニングやの看板

東京の皆様、大阪ではYシャツはカッターですので、驚かず、お見知り置きくださいませ(笑)

さてお昼に食べたもので、秋を感じたもの。滞在中に10月に暦が変わったので、和食が秋になってました。

美味しかった!アメリカにきたらこれは食べれないなー。

そんなこんなの日本の実家でした。
戻ったら山のような仕事が溜まっているので、ばたばたしている私でした...。