日本人のエッセイの苦手な部分

香穂が、日本人でアメリカの大学院を受ける人々から、
「エッセイの最終チェックをお願いします。香穂ちゃんは、ネィティブですので、英語が変な部分だけ見てください。」
と言われてみることが多くなりました。



私は香穂に
「ごめん。エッセイ見て欲しいって言ってる人がいるんだけど、見てあげてくれる?」と渡します。
彼女が、毎回読むと
「あぁ・・・これ、日本の人が書いたんだね。」
と言うのです。どうも香穂が言うのには、日本に住む人が書くエッセイには、共通点があるといいます。

1.結論が、最後にきてしまう。
2.文章が、やたら長い。
3.何が言いたいのかわからず、最後に書いてある結論さえもぼやける。

まず、1については、最初のパラグラフに結論を入れるのが、エッセイの場合は効果的で、特に、第二言語で書く場合は、それが重要になってくるそうです。第二言語の人が書く文章というのは、どこかに変な言いまわしがあったり、わかりにくい部分がでてくるので、最初に
「私は、こういう結論のことについて書きます。」
という旗を立てて書くと目標地点がわかるので、文章に少し間違いがあったりしてもこちらで察せるそうです。



2については、エッセイを出す前に必ず声に出して読まないといけない。それで一息で読めない文章は、書かないことが原則で、一息で読めない文章を書かれると、読んでる方は、苦しくなるそうです。第二言語で、さらに苦しくなる文章を読むというのは苦痛を伴う作業だそうです。
日本で英語教育をうけるとやたら、That,Which等で、つなげて長くしますが、一息で読める文章は、大事だそうです。



3については、自分が何について言うのか、はっきりと最初に指し示すこと。1の繰り返しになりますが、結論を最後に持って来てしまっては、第二言語で読みにくく、その上に結論になかなかたどり着かないと、なにについて話すのかが、はっきりしないので読み終える頃には、疲れ果てて、二度と読みたくないと思ってしまうのです。その上、ぼやけた書き方
「私が思うに・・・。」
「私たちの意見としては」(←私たちって誰のことをさしてるの?みたいになるそうだ)
「このようなことから、推測するにあたって。。」
「たぶん・・」
という表現がでてくると読み切ったあとに、どっと疲れるそうです。



「高校生のくせに、生意気な・・」の香穂ですが、香穂いわく
「エッセイを提出するっていうことは、やっぱりその大学に入りたいから書く訳で、私だって、行きたい大学に合格したい。これは受験生の共通の意識だ。なので、これが助けになればと思って、ちょっと言ってみた。細かい文法の間違いは、そんなに気にする人がいないけど、上記の3つはほとんどのアメリカ人は気にすると思うので、気をつけて英文を書くといいエッセイがかけると思うよ。」
ということです。

これからエッセイを出す方、香穂は生意気ですが、この意見は、こちらに住んでいてもよく聞きますので、参考になればと思い、ここにあげておきます。