サンノゼ豆腐の閉店。西海岸の昭和史がなくなってしまう...。

私の住むシリコンバレーには、サンノゼ豆腐という日本でも珍しい昔ながらの製法で作っていた豆腐がありました。
戦前から続く3世代のこのお店は、一時期、1代目の借金でお店の経営が危なくなったこともあったのですが、当時の大手日系銀行の店長が、

この豆腐がなくなったら、日系のコミュニティが破綻する。この豆腐はなくてはならない。

ということで、豆腐を担保にお金を貸し、盛り返したというストーリーがあります。
昔は、遠くはサクラメントから当番制で片道2時間かけて、みなさんがやってきて買いに並んだそう。
私がここにきた頃からも、よくいただいていて、お昼過ぎには売りきれということもありました。
けど、だんだん時間が経つにつれ、町には
「本当に美味しい手作り豆腐」
を食べたことがない世代がどんどん増え....。
豆腐もどきの大量生産の豆腐が「豆腐です」という顔をして出てきました。人間の味覚なんていうものは、その豆腐に慣れてしまうとそれが正しい豆腐になってしまいます。
うちの娘は生まれた時から離乳食もサンノゼ豆腐で育ったもので、大学受験が終了し、希望大学に全て合格した時も、お祝いの食卓には、サンノゼ豆腐がリクエストでした。期末試験が終わって、卒業試験が終わった時も、いつも食べ物のリクエストはサンノゼ豆腐でした。大学院の卒業の時もリクエストはサンノゼ豆腐。

今回も行きたい会社に就職が決まり、9月にはバタバタと家を出て行き、12月の帰省時は、好きなものを家で食べようね、と話していたのですが、やはり返事は「サンノゼ豆腐が食べたい」でした。
11月に、サンノゼ豆腐の方に
「そろそろ年末の予定って出ていますか?娘が帰って来るんですが、どうしても豆腐が食べたいらしくて」と話すと、クリスマスの次の日から、大晦日前の金曜日も開いているよ、とのことでしたので、ほっとしていたら、サンノゼ豆腐が閉店するというニュースが。
今年の一番悲しいニュースでした。
San Jose Tofu Co. to close, ‘a gem, a landmark’ in Japantown
最後の日が近づいてきたので、香穂と一緒に1時間半の列に並んで、おばさんにしっかりと挨拶をしてきました。
買わせていただいた豆腐とおから。もうこのおからは食べれないだねと香穂と話しながら、おからのクッキーを大量に焼きました。

これを冷凍にして少しづつ食べようと思います。
サンノゼ豆腐の方達、長い間この北カリフォルニアの日系社会を支えてくれて、ありがとうございました。